鰻についての面白い話 昔話
かば焼き発祥の地 たんぽぽ
 はるか昔、旧浦和付近は海で、その後の地殻変動から陸地化したところです。この一帯は東京湾奥の低地に連なる低湿な地帯で、その中を元荒川や荒川などの河川がゆったり蛇行して流れ、水田に利用するため多くの溜井(ためい:貯水池)がつくられた。その地域にある太田窪(だいたくぼ)は、藤右衛門(とうえもん)川が流れ、この中の上谷沼(うわやぬま)は田んぼと沼地が混在し、川魚あまた生息する水郷で、風光絶佳な行楽地となっています。 
 この沼畔に居を構え、200年来の伝統を誇る老舗小島屋の五代目小島庄五郎さんは、うなぎのかば焼きが広く知られるようになったのは、先祖が行楽の人々に請われるまま、とった川魚を料理して食膳に供したところ、味のよいことが評判になったことがはじまりだといいます。中山道を上り下りする旅人まで、わざわざ足を運んで賞味したといわれています。 梅
                (「聞き書 埼玉の食事」社団法人 農山漁村文化協会 出典)
浦和市を流れる藤右衛門川 川口市を流れる藤右衛門川
大谷場東小、大谷場中脇を流れる
現在の藤右衛門川
上谷沼の脇を流れる
現在の藤右衛門川(川口市)
昔うなぎが取れた所
別所沼
この周辺にうなぎ屋さんがあります↓  
  ↓藤右衛門川が流れています
現在の上谷沼
川口市にある上谷沼跡から右手に太田窪を望む
別所沼
昔のうなぎとり 魚
 昔は綾瀬川がきれいだったので、鰻(うなぎ)、鯉(こい)、鯰(なまず)、鮒(ふな)、鰌(どじょう)などがとれましたが、終戦後農薬を使うようになってからは鰻が取れなくなりました。また、鰻は三寸以下はとってはいけないといわれていました。
 用水に水が来るのは四月半ばから、二百十日まで。七夕までは水が少し濁っていますが、七夕が過ぎると水が澄んできます。その濁っている時分に鰻がとれました。竹に縄をとおし、その先に針をつけたものを用水にさしてとります。夕方さしておくと朝にはとれました。これをヒッカケといい、竹は四、五尺くらいで、ウタウタミミズという五寸もある竹やぶにすんでいるミミズを餌に使いました。 竹
           (「浦和市史 調査報告書第9集」)
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