旧浦和市の田島ヶ原にだけ100万株ものサクラソウが自生している・・・。そのひみつは何だろう?


● 田島ヶ原の自然

 田島ヶ原の近くを流れる荒川は、むかし、毎年のようにはんらんをくりかえしていました。荒川がはんらんすると、上流から栄養のある土をふくんだ水が田島ヶ原などの低湿地に流れこみました。また、サクラソウなどの植物の種が水に流され、新しいで土地に運ばれ芽を出しました。田島ヶ原では、このような自然環境に適したサクラソウ、ノウルシなどの植物がむれをなして育ちました。

サクラソウ ノウルシ チョウジソウ アマナ

● 荒川の流れにそって広がっていたサクラソウ自生地

 荒川にそった低地には、田島ヶ原と同じような自然条件をもつところがたくさんありました。錦ヶ原(にしきがはら:大宮市)、田島ヶ原、戸田ヶ原(とだがはら:戸田市)、浮間ヶ原(うきまがはら:東京都)、尾久ヶ原(おぐがはら:東京都)などです。そこにはサクラソウが咲きみだれ、古くは江戸時代からサクラソウの名勝(めいしょう)地として親しまれてきました。 


● 消えたていったサクラソウ自生地

 ときは流れ、明治から大正、昭和と時代が移り変わるなかで、世の中のようすや人々のくらしが大きく変化してきました。荒川やその付近のようすも大きく変わり、尾久ヶ原や浮間ヶ原、戸田ヶ原からサクラソウが消えていきました。錦ヶ原でさえもかつてのすがたはまったく失われ、見渡すかぎりが水田と変わりました。


● 自生地保護のきっかけ

 サクラソウは、江戸時代から園芸用として武士や町民の間で親しまれてきました。花の色や形がさまざまなに変化し、数百を数える品種が生まれ、品評会がさかんに行われました。荒川べりの自生地からサクラソウを堀り上げ、家に持ち帰る人も後を絶たず、田島ヶ原自生地も美観をそこねてしまいました。
 そこで、地元の人々がサクラソウの保護をうったえ、大正5年4月に国の天然記念物調査会委員の三好学博士をまねきました。三好博士は2度にわたる調査を行い、調査報告書を作成しました。
 その結果、大正9年、田島ヶ原は国の天然記念物「土合村桜草自生地」に指定されました。昭和27年には、文化財保護法により特別天然記念物「土合村サクラソウ自生地」に改められました。 

 天然記念物調査報告書
   桜草の自生に関するもの
   大正9年5月 史蹟名勝天然記念物調査会委員
                  理学博士  三好  学 
 この報告書には、土地の状態、天然記念物としての価値、名勝としての価値が記されている。
 ●土地の状態  
  • 荒川の沿岸には古来サクラソウが自生する原野があり、これらは、洪水の泥土を受け養分に富み、平時は地面が乾固し亀裂する土壌であること
  • したがって、普通の原野とは異なる植物の群落が見られ、そのうち最も固有なものはサクラソウであること
  • 4月には、一面に紅花をもって飾られ、これに交わって黄色のノウルシ、紫色及び白色のスミレ、紫色のチョウジソウ、紅紫色のムラサキケマン、ヤブエンゴサク、黄金色のヒキノカサ等が花を開き、天然の花園のような一大美観をつくること
  • 夏には、チガヤが背丈以上になり、秋にはチガヤは刈り取られ原野は裸出し翌年のサクラソウの発生に便ならしむこと
 ●天然記念物の価値
  • サクラソウは、わが国では北海道や本州に生じるが、特殊な場所に限られ、研究や鑑賞に不便であること
  • サクラソウは花の美しさのみでなく、先天的変化に富み植物品種改良の研究に適当な材料植物であること
  • サクラソウは、他の草類と自然の群落をつくり、生存上相互の関係があるので、サクラソウの保存には、同時に他の草類も保存する必要があること
 ●名勝
  • 旧幕府時代のサクラソウ名勝地は、明治20年ごろまではともかく、その後、土地の変化、遊覧者の濫採、商売人の採集等のため、ほとんど採り尽くされている
  • 田島ヶ原より上流にも見られるが、不便で鑑賞には適さない
  • 田島ヶ原は、浦和町から1里ほどであり、馬車の便もあるので、名勝として適当であること